2011 FUNKY IN 北海道 Part.28  初日 2日目 3日目 4日目 5日目 最終日













季節は秋へ




  北海道4日目の朝、部屋のカーテンを開けると窓は露で曇っていた。昨日の雨で北海道の季節は夏から秋にシフトしたようで、外の空気は冷たいものに変わったようです。


テレビが地デジ化で液晶になりました。
※一晩で窓ガラスに露が付くほど寒くなりました。














 この後の宿の旦那との話の中で、私が秋を連れて来たと言われてしまったが、北海道の季節は本州と違ってハッキリと一気に季節が変わるようです。

外を見ると空は薄雲に覆われてはいたが、雨は上がっており今日はドライ路面を思いっ切り走れそうである。私の目の前では馬や羊が草を食むアニマの里の朝の風景が広っていて、宿泊客の男女がその姿を見ながら楽しそうに会話を交わしている。

 この宿の朝は動物達が小屋から出で草を食む事から始まるのだが、前日に予約すると馬に乗って牧場内をライディング(人が付いて)も出来る。私はこの歳になるまでお馬さんに乗った事が無いのだが、回転するホィールでは無く4本の足で移動する乗り物がどんな乗り味なのか、死ぬまで一度は体験したみたいとは思っている。またアニマの里に泊まる機会が有ったら乗ってみようかな?
 アニマの里の朝食はam7:00頃から食べられるので、我々は早目に食堂に行って朝食を取る事にした。メニューはいつもの洋食パターンで、瓶牛乳を飲んで自家製のヨーグルトにはハスカップジャムを入れ、パンとコーヒーをお代わりしながらゆっくりと食事を楽しむ。


アニマの里 朝食 (洋食パターン)

トウモロコシも自家製。今回のものは味は甘くて美味しかったが、皮が少し硬かった。農産物は年によって色々有るのが、工業製品と違うところである。

自家製ヨーグルトに自家製ハスカップジャム

ドライは楽しい



小屋からバイクを出して出発準備。



タイヤに着いて土が取れるまで慎重な走りが必要である。

 我々は食事後の休憩をゆっくりと取った後,、am8:20にアニマの里を出発、網走駅近くのセルフGSでガソリンタンクを満たした後、オホーツク海沿いを走る国道244号を知床方面へ走る。

 左手に見えるオホーツク海の向こうには知床半島が見えていたが、羅臼岳等高い山々には雲が掛っており、昨日の雨で濡れた路面がまだ乾いていない可能性が考えられた。

 我々が網走から知床峠へ向かういつものパターンは、国道244号を斜里・根北峠と走り、根室海峡側に出て羅臼から知床峠に上がるコースを使用する。私は楽しみにしている根北峠を路面が乾いている状況で走りたい訳で、根北峠の路面が確実に乾くであろう午後に走るようコースの変更を考える。

 幸いにも今宵の宿は根北峠から100km程の根室半島に在って、午後に根北峠を走っても時間的な問題は無く、私は先ず藻琴から道道102号に入り東藻琴末広から道道995号を通って国道243号に出て美幌峠に向かう事にする。

 東藻琴末広からの道道995号は交通量が少ないワインディングロードでこれまで何度か走っているが、路面が濡れていたり土が落ちていたりしていて楽しめた事は少なかった。


道道995号の出口 先の道は国道243号
左折すると見幌峠に向かう。

 今回は路面が乾いていて楽しく走れる状況には有ったのだが、この道の沿線には牧場や農地が多く、今回もあちこちに土が落ちている状況で、ブラインドコーナーで土に遭遇してしまった私は一気にペースダウン、K9と共に国道243号まで走る事にした。

 この 道道995号 東藻琴豊富線 は道としては楽しめるスチエーションに有るのだが、基本的にトラクター等が多く走っている地元の農道ですので、皆さんも走行には充分ご注意下さい。

 国道243号に出た我々は左折して美幌峠に向かう。以前美幌峠へ行く途中にスピードを感知して作動するサイレンが設置されていたのだが、最近サイレン音がしない事に気が付いた。

 以前は行き成り聞こえて来るサイレンの音に驚かされたものだが、大きなサイレンの音で運転者を萎縮させようとする姑息な手段は、世間様に受け入れなれず撤去されたものと思われます。



観光三昧

 美幌峠の少し手前まで来ると、我々は見晴しの良い広々とした草原に出る。前回ここを走った二年前は、辺りは霧に包まれ何も見えていなかったのだが、今日は霧も無く我々は草原の快適な道を走り抜け美幌峠のパーキングにバイクを止める。

 美幌峠のパーキングにバイクを停めた我々は、先ずはトイレへと向かう。昨日程ではないが気温が低く、止まったらトイレへのパターンは今日も続きそうである。その後我々は、久しぶり(私は15年以上ぶり?)に屈斜路湖をバックしたに美幌峠からの写真を撮る為展望台へと向かう。
 展望台から見る今日の屈斜路湖は日差しが無く湖面の色は冴えなかったたが、久しぶりに美幌峠の展望台から見るの屈斜路湖の姿は美しかった。本当ならこの上の展望台から写真を撮りたかった(屈斜路湖がもっと大きく見える)のだが、それは青空が広がる天気が良い時にしたいと思います。

 美幌峠観光を終えた我々は、屈斜路湖を見下ろしながら峠を下り次の観光スポット裏摩周に向かう。屈斜路湖畔に出た我々は、和琴半島入口、コタン温泉、砂湯、川湯温泉と走り慣れた道で国道391号に出て、野上峠に向かう。

 今日の野上峠は珍しく空いていて、峠手前まで車に邪魔されずに走る事が出来た。この野上峠はそれなりの峠道なのだが、中央に黄色線が引かれている関係上車の後ろで過ごす事が多い。これまで幾度となくこの峠を走って来た私だが、これ程にクリアーな野上峠は初めてでジックリ味わいながら走ってしまいました。

 国道391号から道道805号に入り釧網本線の踏切を渡り道道1115号に出た我々は、釧網本線に沿って清里峠を目指す。この道道1115号はいつも車が少なく走り易い道なのだが、今日はダンプトラックが走っていていつもと違う雰囲気だった。緑の駅前を過ぎると道は釧網本線と別れ、暫く開けた畑の中を走った後、次第に深い森の中に入って行く。

 道の左側にダンプトラックの出入口(路面が土で汚れていた)が有って、我々はダンプトラックから解放され私は次第にペースを上げていく。神の子池入口付近まで来て、私は今回の北海道で初めてリヤタイヤを減らす走りを試みる。

 リヤタイヤを減らすのはスロットルを開けるだけだからそう難しい事ではないのだが、問題はコーナー手前のブレーキングでスムーズにキッチリと減速出来るかが問題であった。どこでブレーキを掛け始めどれだけの強さでブレーキレバーを握り込むかは感覚な訳で、今回の北海道ではそれまでそんな走りをしていなかった私は、タイミングを掴めず暫く手前からブレーキを掛けてしました。

 路面やコーナーの状況によってブレーキの掛け方は変わってくる訳で、幾つかのコーナーをクリアーしながら私はブレーキポントを詰めていったのだが、ブレーキが決まらないとコーナーリングも決まらず、アーでも無いコーでも無いと試している内に清里峠に到着してしまいました。


裏摩周パーキング バイク専用スペース


一応記念写真におさまる。

 清里峠のシェルター手前から右に入り短いながらも楽しいワインディングロードを走った我々は、裏摩周のパーキングにバイクを止める。このパーキングには高速道のサービスエリヤの様にバイク専用スペースが設けられている。

 我々ライダーに取っては大変有り難いパーキングなのだが、この手のバイク専用スペースを設けているパーキングがまだ少ないのは、誠に残念である。


展望台へ向かいます。

 昨年ここを訪れた時は霧で摩周湖を拝めなかったのだが、今日の裏摩周には霧も無く、湖面を望めそうである。展望台に行く前にトイレに寄った我々は、展望台へと続く坂道を上って行く。

 今回の摩周湖は空が薄雲リで、青空の下では神秘的な蒼色を見せる摩周湖の湖面も今日は神秘的な雰囲気は無かった。

 しかし、昨年この展望台でホワイトバックの写真を撮ったK9に取っては、一年越しに見る初めての摩周湖であり、それなりの感動は有ったものと思われます。10Rも私も摩周湖は何回となく見ており特に感動は無かったが、摩周湖という湖は見る度に違った姿を見せてくれる湖ではある。

 摩周湖見物を終えた我々は、清里峠からの高速ステージを駆け下り養老牛に出る。開陽台に向かう道道150号は信号交差点で左折するのだが、後続に気を取られていた私はその交差点を見落としてしまった。

 交差点を直進してしまった我々は、道道833号に入り弟子屈と中標津 を結ぶ道道13号に出てしまう。そこで始めて道を間違った事に気付いた私は、来た道を引き返す。そのまま中標津に向かう選択肢も有ったのだが、交通量が多い道道13号は気を使う為、気楽に走れる道で開陽台に向かう事にした。

 いつもと走る方向が逆だったとはいえ、走り慣れた道を間違ってしまうとは誠に情けなかった。歳は取りたくないものである。後ろを走る10Rは私の間違いに気付いていたらしいのだが、そのまま私の後ろに着いて走っていたのだと言う。一言いってくれればと思ったが、私でも声は掛けないかな・・・?



北海道を感じる景色の中で休息を取る。
 道道150号に戻った我々は、無事開陽台に到着する。今日の開陽台は薄曇が掛っていたものの見通しが良く、国後島や太平洋が見えていた。開陽台の標高は高くはない(パーキングの標高は250m)のだが、東方や南方向には高い山が無くて丘陵や湿原が広がる為、空気が澄んでいる時は太平洋や国後島が良く見えるのだ。

 開陽台のパーキングからの景色で、今回初めて気付いた事が有った。以前も太平洋は見ていたが、今回は厚岸湾の凹みがハッキリと分かったのだ。厚岸湾は直線距離で100km程離れているのだが、地図で見る形が直ぐそこに在る様に見えたのには驚いてしまった。

 北海道での距離感覚が本州とは違う事を感じましたね。


季節的にキャンプしているライダーは居なかったが、バイクは我々も含め結構止まっていた開陽台の駐車場

今シーズンのSANTOSは大沼公園でした。



豪華な昼食

 開陽台でゆっくり休憩を取った我々は、次の観光地 知床峠 に向かう。開陽台を発って例の有名な直線を下った我々は、国道244号に出て右折し直ぐに左折、古多糠から国道335号に出たのだが、時間は昼時で私は昼食をどうするかを考えていた。



羅臼八木浜のGSで給油と洗車をし、
バイクは輝きを取り戻す。


まるみ食堂 から見るGS
三菱のGSも今では珍しい?


ボリューム満点 知床鮭イクラ丼 1,890円

 先ほどから道路脇に 食事&民宿 まるみ食堂 の看板が目に入っていたが、場所が何処なのか分から先ずは網走から暫く走って空になったガソリンタンクを満たす事を考える。ガソリンスタンドを探して走ると羅臼の街の少し手前八木浜でGSを発見、給油と雨中走行で汚れたバイクを洗う事にする。


立派な建物の まるみ食堂さん



 タラバガニと毛ガニが ドーンと入った
特製ラーメン 1,590円

 GSスタッフにこの辺で食事が出来る処がないかを聞くと、向かいに食堂があると教えてくれる。

 三階建ての立派な建物の上には大きな看板が立っていて、 まるみ食堂 と書いてあり、私が探していた食堂だった。

 私の注意は道路左側にあったGSに集中、右側に在った食堂を見落としてしまったようです。

 民宿でもある まるみ食堂 さんは、大きなカウンターと小上がりも有る広い店内で、この辺では有名な食堂のようで、メニューも地元の海鮮を使ったものから、ラーメンやカツ丼等普通のメニューも取り揃えていた。

 折角なので私と10Rは 知床イクラ丼 (毛ガニ入り味噌汁付)を、K9はタラバガニと毛ガニとホタテが入った 特製ラーメン をオーダーする。

 知床イクラ丼 はイクラと大きな鮭の切身が載った丼で、私はそのボリュームに負けてしまいご飯を残してしまったのだが、10Rは頑張って完食していた。しかし、その頑張りが夕食に影響を与えよう事になろうとは、その時の10Rは考えてもいなかったのである。

 この 知床イクラ丼 胃袋が大きい若者にはお勧めですが、量が半端で無く多いですから胃袋に自身の無い方は覚悟してご注文下さい。

 一方、大きなカニやホタテが入った 特製ラーメン には大皿が付いてきた。店員さんの説明によるとこのラーメンは最初にカニを食べてしまうとその間に麺が延びてしまう為、カニを大皿に置いて麺から食べるのが常道なのだと言う。大皿はその為のカニ置き皿だったのだが、確かにこの大きなカニに手を付けてしまうと食べ終わるまで暫く時間が掛るのは明白で、この特製ラーメンは麺から先に食べるのが基本のようです。


まるみ食堂のキャッシュバック

 特製ラーメンに入っているタラバと毛ガニは、カニだけでも充分に元は取れそうな大きさで、K9だけでは食べ切れず他の二人もお裾分けに預かったのだが、スープもカニやホタテから出た出汁が美味しいラーメンだったようである。

 食事を終えレジに行くと年配の女将さん?が居てお会計をしてくれたのだが、お釣りと共に10円のキャッシュバックを渡された。それはまるみ食堂のカードに真新しい10円玉(平成14年製造)が貼られた物で、

  「本日はご利用ありがとうございました。」

の文字が添えられたいた。

 このカード、10玉が貼り付けて有る為ごみ箱直行とはならないと思われ、良い宣材で有る事は確かである。

 まるみ食堂は民宿も営んでいて1泊2食付の料金を聞いてみたら6000円台から泊まれるようでした。食堂でもこれだけの物を出しているお店ですから、夕食に期待しても良いのではないでしょうか。

 お腹もガソリンタンクも満たした我々は、次の目的地知床峠に向かう。
 

知床峠の蝦夷鹿

 羅臼の街を抜け熊の湯の脇を通過すると、知床峠のワィンディングが始まる。黄線で始まる峠道は車の後ろで過ごす事になるのだが、車がヘアーピンコーナーでスピードを落としドライバーが何かに注目している場面に遭遇する。

 ドライバーの視線の先を見ると、一匹の蝦夷鹿が道路の脇(道から1.5m位)でゆっくりと草を食べていた。ひっ切り無しに通っている車を気にする様子は全く無く、その鹿は人間を完全に見切った状態で悠々とお食事中だった。今まで何回と無く知床峠を走っている私だが、こんな情景を見るのは初めてであった。



羅臼岳は雲の中

 昨年、津別峠の展望台で人が近付いても逃げない北キツネに出会ったが、私が逃げない蝦夷鹿に出会ったのは今回が初めてだった。長い間に人間が危害を加えない事を学習しだものと考えられるが、

 「これって良い事なのでしょうか?」

 私には人間と蝦夷鹿のテリトリーが重なっていく事は、鹿に取っても人間に取っても良い事だとは思えないのだが、どうなんでしょうね?

 黄線が白い破線に変わって我々は車の前に出てワインディングを楽しんだのだが、今日の知床峠は車が少なく走り易かった。知床峠に到着してみると、羅臼岳には雲が掛っており頂上は見えていなかった。

 前回来た時も羅臼岳の頂上を見られなかったK9は、今回も迫力満点の羅臼岳の全貌を見る事は叶わなかったのだが、前回より雲が100m程高かったから良し?としなければなるまい。

 羅臼岳の裾野と共に記念写真を撮った我々は、知床峠を後にして宇登呂に向かう。K9が羅臼岳山頂を目にするのは次回以降に持ち越しとなったのだが、私の経験から言うと羅臼岳山頂が顔を出すのは結構稀で、強運が必要なのかもしれません。


久しぶりの越川温泉

 知床峠から宇登呂に下る道は羅臼側に比べると緩やかな勾配でゆっくりと走るのに適している。我々は車と共に景色を楽しみながらゆっくりと下って行く。今はまだ陽が高いのだが、この道をこの方向に走るのは夕暮れ時をお勧したい。

 夕暮れにこの道を走ると、空を真っ赤に染めて落ちてく夕日に向かって走る事になり、それは宇登呂手前でオホーツク海に沈む真っ赤な太陽でクライマックを迎える事になる。オホーツク海を見下ろしながら見る落陽は幻想的で本当に美しいのだが、それを見るには夕暮れ時にこの道を走る必要が有るのである。

 スケジュール的には夕方知床峠を越えて宇登呂に宿泊すは良いのだが、FUNKYで宇登呂に泊まったのは長い歴史の中で一度だけで、FUNKYのスケジュール的には宇登呂に宿泊するのは難しい部分が有るのだが、今一度あの景色を見てみたい気もしています。

。北海道の中でも有数の観光基地 宇登呂 に到着した我々だったが、数年前に出来た道の駅は相変わらずの混雑ぶりでそのままスルーで斜里へと向かう。

 国道334号を走って行くと国道に車が並んでいるのに出くわす。そこは有名な オシンコシンの滝 の駐車場だったのだが、我々は車に気を使いながら滝に一瞥を投げて先を急ぐ。



久しぶりに訪れた越川温泉
以前個の看板は無かった?

 斜里の街手前で左折した(左折ポイントの目印は<朱円環状土籬>の立札)我々は、近道で国道244号の越川に出て根北峠方面に向かう。いつもならそのまま根北峠を越えるのだが、今回は久しぶりに根北峠の上り口に在る越川温泉に立ち寄る事にした。

 越川温泉は、越川集落の人々が作る温泉組合が運営する管理人のいない温泉で、利用者は玄関横に置かれたドラム缶とコンクリートで作られた料金箱(盗難予防の為重く作られている)に200円の利用料を入れるシステムになっている。



FJR1300に乗るカップルと軽トラで
来ていた万世一人の先客がいた。




全体的な雰囲気は13年前と変わっていない。

 温泉の前にはFJR1300一台と軽トラ一台がが停まっていて、我々はその奥にバイクを停める。

 私が前回この温泉に立ち寄ったのは1998年の事だったが、今回行ってみると外に仮設トイレ(洋式)が設置されていた。前回建物内に有ったトイレは床が抜けそうでヤバかった記憶が有るから、中のトイレをリフォームするのではなく、仮設トイレを設置する方法でトイレを確保したものと思われます。

 以前来た時は床を蛇(体長7〜80p)が這い回っていて驚かされたが、今回はそんな事も無く休憩所も以前より小奇麗になったいた様に感じた。ソファーの数も増えている感じで、越川温泉は今も地元の皆さんに愛されている温泉の様である。


3〜4人でも持つのが大変そうな料金箱

 ブーツを脱ぎ料金箱に200円を投入した我々は、早速温泉に向かう。脱衣所に行くと男性が一名上がったところだったが、その男性が外に停めてあったFJR1300に乗るライダーだった。

 後で分かった事だが、彼はカップルで北海道を旅しているライダーで、FJRのタンデムシートには女性を乗せたおりました。お二人はマイナーな越川温泉に立ち寄るような温泉大好きカップルのようで、男性から遅れて上がって来た女性はこの手の温泉に慣れているご様子でした。

 温泉に入りながら外を眺めていた我々に、FJRのタンデムシートから手を振ってくれた彼女(私は思わず前を隠そうとしたが・・・)は、爽やかな笑顔と共に走り去って行った。タンデムシートで旅する北海道、それがどんな旅なのか私は知らないが、彼女は北海道を大いに楽しんでるように見えました。

 そして久しぶりに入った越川温泉は、以前と全く変わらない温かさで私を迎えてくれた。湯口から源泉(温度50℃前後)が掛け流しになっている湯船には温度調整の為加水されていたが、我々には少々熱目の温度で最初少々難儀をする。

 温泉には我々の他に軽トラで来ていた男性が一名入っていて、その手前勝手に水の量を増やすのも何なのでそのまま入っていたのだが、だんだん体が慣れてきて丁度良く感じられるようになってくる。無色透明な塩泉系の温泉は、体をよく温めてくれて我々の体を大いに癒してくれたのでした。

 温泉から上がってから体のクールダウンに少々時間を要してしまった我々だったが(自販機等は当然無い)、リフレッシュした体で スペシャルステージ 根北峠 へと走り出す。



根北峠から厚床へ一気走り

 越川温泉前の国道244号の中央には黄線が引かれており、峠に向かって走り始めるとそれは直ぐに白線(破線)に変わる。それがスペシャルステージのスタートラインで、私はそこでスロットルを大きく開けて峠を目指す。比較的直線が長くハードブレーキングを楽しめる区間が終了し、道はコーナーが連続する切り返しが楽しい区間に入る。

 この区間は黄線が引かれていて車に追い着いてしまうと残念な区間になってしまうのだが、今回は黄線の手前でしっかり車に追い着いてしまい何とも残念な結果になってしまった。峠のパーキングを過ぎ、黄線が白線に変わったところで私はギヤを二つ落として車の前に出る。

 ここからは下りの直線とコーナーがミックスされたワインディングが続きブレーキンングで何回か痺れた後、道は一瞬上りになりまた下って行く。大きな波を三つ乗り越え大きな左コーナーを抜けると、私はスロットルをワイドにしたのだが、今日は何故か堪え性が無くコーナーの大分手前でスロットルを戻してしまった。

 大きな左コーナーを曲がりながら左の駐車スペースを確認、黄線になった道は再び左にカーブして橋を渡る。緩い右コーナーを抜け少し長い直線に出で、いつもはキチキチとギヤを上げて行く私だが、今日は意気地が無く次の右コーナーの暫く手前でスロットルを戻しブレーキを掛けてしまいました。

 森を抜け地平線に道が消える直線に出たは我々は、午前中に通った開陽台からの道を右に見た後古多糠に向かう道を左に見送って、道の消失点の海へと向かって真っ直ぐに走る。この長い直線で根北峠で出たアドレナリンを落ち着かせた我々は、国道335号とのT字路を右折し標津に向かう。

 標津の街を過ぎ少し走ると、左に野付半島へ向かう道道950号の入口が見えて来る。当初の予定では久しぶりに野付半島に立ち寄る予定にしていたのだが、今回は時間が無くなり次の機会とする事に致しました。

 我々の後に北海道を訪れ野付半島のトドワラを見た方のお話では、私が16年前に見た立ち枯れた木々が広がるトドワラの荒涼たる景色は、年と共に木々の風化が進み大分様変わりしているようでした。


厚床のセブンイレブンに到着  PM 4:20
 尾岱沼を過ぎると左手に昨年立ち寄った白鳥台が見えて来たのだが、何とそこは 道の駅 おだいとう になっていた。昨年ここに立ち寄った時、私は真新しいトイレ(男性用小便器に向かうと大きな窓から海が見える)のハイテクとアイデアに驚いたのだが、そのトイレの隣で工事中だった建物が道の駅の建物だったようである。

 休憩する時間には少し早かったので今回はスルーした 道の駅 おだいとう だったが、次回ここを通る機会が有ればどんな道の駅なのか見てみたいと思ってます。

 この時間帯の国道244号はいつも交通量が少なく走り易い道なのだが、今回も思っていた時間より早く厚床に到着する。国道44号を根室方面に左折した所に在るセブンイレブンにバイクを止めた時、越川温泉から厚床までの一気走りで我々のトリップメーターは100の数字を加えておりました。

 我々はここでトイレ休憩と夜の飲み物を調達しようとしたのだが、トイレがなかんか空かずメンバーの一人が緊急事態に落ちいてしまった。さりとてこの場所で軽犯罪法を犯すのも憚られ困ってしまったのだが、近くにガソリンスタンドが有る事を思い出し、そこで給油を行いトイレを借りる事にした。

 羅臼で給油してからまだ180km位しか走っておらず、私はこの先の落石か霧多布での給油を考えていたのたが、緊急事態を回避する為には致し方あるまい。しかし、この給油が次回の給油ポイントに影響を及ぼす事になるのだが、それは後のお話といたします。


ハプニング続出の40km

 給油とトイレを無事終了した我々は、今宵の宿が在る落石に向かう。落石に向かうには国道44号を少し根室方面に走って直ぐに左折、道道1127号に入って根室本線の初田牛駅に向かって走るのだが、私がこの道を走るのは14年ぶりだった。

 私は以前走った事がある道でもあり、国道から左折して道なりに走れば初田牛に行けると安直に考えていたのだが、左折して直ぐ大きな落とし穴に嵌ってしまうのであった。国道を左折すと道は踏切を渡って真っ直ぐに延びていて、私は以前走った時の左折したら道なりという先入観から何の迷いも無く踏切を渡って直進する。

 踏み切りを渡って暫く走って行くと道幅が少し狭くなって私は以前と景色が違うような気がしたのだが、何しろ14年前の記憶な訳で違う道だという確証が持てないまま道なりに走って行く。広大な牧草地の中を走る道路脇に一匹の猫が佇んでいて、我々の方をにらんでいるのが見えた。

 近くの農場の飼い猫(この広い牧草地で野良猫は生きられない?)だと思われるが、近くに人家も無いこんな場所に猫?何とも不思議な光景ではあった。

 そんなこんなで道なりに走って行くと、道が舗装から砂利道に変わるに至り私は道を間違った事を確信する。道を間違った時は確実な所まで引き返すのが鉄則で、我々はUターンして来た道を引き返す。すると左側から同じ位の幅の道が交わっていて、私はその道が正解の道ではないかと考え左に曲がって止まったのだが、皆さんのご意見は違っていた。

 K9によると、先ほどの踏切の手前に 初田牛 左 の道路標示を見たと言うのだが、私は全く気付かなかった。地図で確認すると道道1127号は踏切の手前を左折して初田牛に向かっており、我々は踏切まで戻る事にした。踏み切りに向かって走る出すと先ほどの猫がまだウロチョロしていて我々を見ていて、今日は何かと動物と出会う機会が多い一日だったのだが、この後我々は究極?の出会いを果たすのである。

 来た道を引き返す我々の正面には、知床の山々が夕日のシルエットとなって見えていて、それはそれは北海道の雄大さを感じさせる美しい景色でした。踏切に戻ってみたら国道から来た道道1127号は左に曲がっているのだが、初田牛方向がらが一時停止になっていて停止線が引かれていた。

 この状況では踏切を渡って直進してしまっても不思議ではないが、K9は表示に気付いていた訳だから、私の道なりという先入観が表示を見落とした原因と思われる。

 先入観や思い込みは、人の判断力や注意力に大きく影響を与える事は私のバイク経験の中で何度も思い知らされてきたのだが、今回もまたやらかしてしまいました。

 この様な事態を防ぐには地図をしっかり確認してから走り出すか、カーナビケーションを導入すれば回避は出来るとは思うが、予定通りに走る事が旅の目的ではなく、予期せぬ出来事が旅の思い出となる事も多々有り、旅にはアナログ的な曖昧さが必要だと私は思ってます。

 道道1127号に戻って初田牛に向かって走り出した我々だったが、その先で我々に大きな影響を与え兼ねない動物に遭遇する事になるのである。

 緑の丘陵の中を走る道道1124号は、右に左にゆっくりと向きを変えながらアップダウンを繰り返しており、私は景色を楽しみながら走っていた。左コーナーを曲がって直線に向かった時、前方にこちらをガン見している大きな物体を発見する。

 それが大きく立派な角を生やした蝦夷鹿の雄である事は直ぐに確認出来たのたが、私はこの状況にどう対応するべきか一瞬迷ってしまった。ブレーキを掛け減速したのは当然だが、急制動を掛けて手前で止まるべきなのか? それともゆっくりと近づいて行っても大丈夫なものなのか?

 私は生まれて初めての状況に少しパニクってしまったのだが、あの大きな鹿(秋田でよく見るカモシカの二〜三回り以上の大きさ)では戦って?勝てる相手ではなく、私は我々を見つめる鹿さんの目に注目しながら、ゆっくりと近づく事にした。

 15〜20m位まで近づいた時道路の対向車線に佇んでいた鹿さんは、我々から視線を切って猛ダッシュ(アスファルト上では足が滑るようでスタート時足が空回りしていた)で我々の前を横切り左側の草原に駆け込んで行った。それを見た私はホッと胸を撫で下ろしたのだが、本当に怖かったのはその後だった。

 私が左の雄鹿を見送って視線を道路右側に移すと、そこには蝦夷鹿の集団(10頭以上いたと思う)が我々をジーッと見ていて、私は一瞬

  ヤバイ !!  と思ってしまった。

 先ほどの雄鹿は多分この群れのボス鹿と思われ、ボスの後を追って鹿の群れが道路に出て来る事を私は心配したのだが、幸いにも鹿の群れは我々にお尻を向けて一斉に逃げ去って行く。鹿の世界では、ボスが全てを統括している訳ではなく、各自の判断も許されているようで助かったのだが、北海道を走る時この鹿との対応をどうするかライダーには重要な課題かもしれない。

 私は北海道内を40年以上前からバイクで走っているが、これほど頻繁に鹿を目にする様になったのはこの数年の事である。これまでも森の中に鹿の群れを見る事は時々は有ったが、知床峠のように道路端で草を食んでいる事は無かったし、道路上で仁王立ちしている姿も見た事が無かった。

 北海道では鹿の数が増えて色々な所に影響が出ていると聞く。車の場合は鹿と衝突してもドライバーが怪我する事は少ないが、バイク場合は最悪死亡する事も有り得るわけで、鹿との関わり方は北海道を旅するライダーに取って他人事では済まされない時代になっているのかもしれません。

 それにしても今日ほど多くの動物達(鹿、北キツネ、タヌキ、テン、犬、猫・・・生死を問わず)に出会った事は無かったかもしれない。これからも鹿と遭遇する機会は増えそうだから、ライダーは鹿の生態をよく知る必要が有るのかもしれません。

 今日 鹿について勉強した事。
 
 1.鹿はゆっくりと近づくと逃げて行く。
 2.鹿を一頭見つけたら、周りに十頭以上の鹿がいると思え。
 3.対向車線(道路右側)に立っている鹿は、目の前を横断して道路左側に逃げて行く。     以上

 初田牛駅に出た我々は、踏切を渡って道道142号に出て根室本線に沿って真っすぐな道を別当賀駅まで走り、再び踏切を渡り落石を目指す。この別当賀から落石までの道道142号は、道路以外の人工物が無い深い森の中を走る道で、ゆったりとアップダウンを繰り返してワインディングする道は、北海道でもこの根室半島近くにしか無い貴重な形態の道である。

 我々は、森の中を思い思いの走りで落石の宿を目指した。



とほ宿 カジカの宿



落石湾を見下ろすスチエーションに建つ カジカの宿



我々前にカバーが掛ったバイクが1台泊まっていた。


 落石で踏切を渡り根室に向かう道道142号と別れ道道1123号に右折した我々は、落石魚港に向かう。我々が今日初めて泊まる とほ宿 カジカの宿 は、落石湾を見下ろす高台に建っていた。

 実は我々三人は数年前霧で道に迷って二度(一往復)この宿の前を通っていた筈なのだが、その時はこの宿に全く気付かなかった。しかし、今回は霧も無くすぐに宿を発見、我々は宿の脇の空きスペースにバイクを停める。

 我々の奥には落石湾の素晴らしい景色が広がっていて、私は暫しその景色に見入った後カメラを取り出しシャッターを押す。我々のバイクの近くにはバイクカバーが掛けられしっかり太いチェーンロックが掛かったバイクが停められていて、私は宿のオーナーさんもバイクに乗る人なんだと思ったのだが、後にそれは泊まり客のバイクだった事が判明する。

 荷物を持って玄関に行くとオーナーさんが出て来て、我々にこの宿のシステムを一通り説明した後、二階の部屋に案内してくれる。部屋は10畳以上有る大部屋で、先客が一名いて我々は今日他の泊まり客と相部屋になるようである。

 考えてみると私はこれまで何回となく とほ宿 (基本的に部屋は男女別相部屋) に泊まってきたが、他の泊まり客との相部屋になったのは思い出せない位久しぶりで、もしかしたら今回が初めてだったかも知れない?

 相部屋の彼は布団の上に横になって熱心にマンガ本?を読んでいたのだが、その傍らにはバイクに装着するサイドケースが置かれていて、私は外のカバーの掛かったバイクが宿のオーナーさんのバイクではなく、横になって熱心にマンガ本を読んでいる彼のバイクで有る事を察知すると共に、カバーの中のバイクがBMWで有る事を確信する。

 これまでの経験から旅先でバイクにカバーを掛けロックまでするライダーは、BMWに乗っているに違いないと私は直感したのだが、この推察が正しいのかどうかは明日彼がカバーを外す時まで待たなければならない。

 着替えた我々は、お風呂に入ったり食堂や部屋でゴロゴロしたりして夕食の時間まで時間を潰していたのだが、一人の泊まり客が帰って来た。帰って来たち言うのは、一度宿に寄ってから落石岬やこの近辺を歩いて周ってらしく、オーナーさん親しく話していた。

 この辺の写真を撮って来たのだと言う 宅八郎 似(10Rはそう呼んでいた)の御仁とは、食後親しくお話する機会が有りましたので、その時に詳しくご紹介したいと思います。

 「食事の用意が出来ましたぁ・・・。」 女の子の可愛い声が我々を呼びに来た。オーナーさんの娘さん(翌朝ランドセルを背負っていたので多分小学校高学年?)が知らせに来てくれたのだが、この娘さん食事の支度から片付けまで本当に良くお父さんをアシストしていたのだが、この宿にお母さんの姿は見えなかった。

 その辺の事情は私の知るところではないが、私の幼い頃は普通に見られた家業を手伝う子供の姿を見て、私は昔の自分の事を思い出していた。私はバイク屋の息子だが、幼い頃は店に従業員も沢山いてバイクにはあまり興味を持たずに育った。

 親父はバイク店を経営していたが私はサラリーマンの子供状態で、親父の仕事にあまり興味を持たずに育ったのである。それが高専に上がった頃から親父が一人で商売するようになり(今の私の状態)、私は学校から帰って来てからバイクの修理を手伝う(機械物は前から好きだった)ようになっていた。

 私がバイクの面白さや深さを知るようになったのはその頃からなのだが、親の働く姿を見ていると子供は自然に手伝うようになるのだが、それは家業を継ぐと言う事とは別の話なのである。

 幼い時から商売の大変さ(親父の口癖はサラリーマンが一番)を聞かされていた私は、商売人だけにはならないと学校を出て東京でサラリーマンになるのだが、親父が体を壊したりした事もあり六年後の昭和50年に秋田に帰って家の仕事をするようになる。

 戻って直ぐにバイクの仕事が出来たのも学生の頃親父の仕事を手伝っていたからに他ならないのだが、その3〜4年後自転車に乗っていたオバチャン達が原付に乗り始めて原付ブームが始まり、その頃FUNKYが出来て私も商売では無いバイクに深く関わって行く事になる。

 偶にあのままサラリーマンを続けていたらどんな人生になっていか考えたりする事も有る。今年になって以前勤めていた会社に同期で入社した友人(当時よく遊んだ)が秋田に転勤になって来て、久しぶり(37年ぶり)に会って飲む機会が有ったのだが、北海道出身の彼は日本各地を転々と転勤する人生を送っていたらしい。

 物は考えようで、会社のお金で日本各地を旅していた(そんなテレビ番組がどこかに有ったような・・・)と考えればそれはそれで楽しい人生であったのかもしれないのだが・・・どうなんでしょう?

 サラリーマン当時、出張で日本各地に行かせて頂きそれはそれで楽しい思い出として今残ってはいるが、毎年北海道をバイクで旅するような人生にはならなかったと思うから、これで良かったのだろうと思ってます。


落石の夜

 一階の食堂に下りて行くと、テーブルの上には地元の海鮮食材に拘った料理が並んでいて、我々は大いに食事を楽しんだと書きたいところだが、10Rが昼食の後遺症で満足に食事が出来ない状態に陥ってしまい、大半の料理を残してしまう事態となってしまった。

 <捨てる神があれば拾う神あり> とはよく言ってもので、我々が食事を終えて席を立とうとした時、奥に座っていた御仁(先ほど寝転んでマンガ本を読んでいた方 以後 BMW君)が我々に声を掛けて来た。

 「その料理頂いて良いですか?」    「どうぞ どうぞ!」

 10Rの残してしまった料理は捨てられる事無く彼の胃袋に納まる事になったのだが、彼は食事の前に缶ビール(350ml缶)を一度に三本頼んでいてそのポテンシャルの高さに驚いていた我々をまた驚かせたのでした。

 BMW君は10Rの料理をつまみながらビールを追加しながら宅八郎似の彼(お名前は不明 以後 宅さんと呼ばせて頂きます)やオーナーさんと話し込んでおりましたが、我々は食堂内に在る小上がりの談話スペースに移って、厚床のセブンイレブンで仕入れた飲物を飲み始める。

 ここまでの話から皆さんはBMWに乗っているであろうBMW君を、どの様にプロファイリングされますか?

 バイクはBMW? 身長は170cm位? 小太りで頭は坊主 年齢は30歳代後半? 関西弁を話しオタク系

 ここまでプロファイリング出来たとしたら、貴方はFBIに就職出来るかもしれません?



執念の豚丼

 明日は北海道最終日で、我々は苫小牧東港のフェリー乗り場を目指して走る事になるのだが、ここ落石から釧路、帯広を通って狩勝峠を越え穂別経由で苫小牧東港に向かう予定になっていた。昼頃帯広を通る予定になっている事から、10Rは初日の無念を晴らすべく帯広の豚丼店を探して携帯電話を盛んに操作している。

 北海道に降り立ったその日の夕方、夕食に帯広駅前の ぱんちょう で豚丼を食べようとした10Rだったが、行列と雨で時間が無くなり断腸の思いで豚丼を諦めていた。豚丼への思いを断ち切れなかった10Rは、明日その豚丼をリベンジしようと燃えていたのだが、そのリベンジに気掛かりな事が有った。

 それは ぱんちょう の定休日が月曜日で月曜日が祝祭日の場合は火曜日がお休みとなる事だった。以前(7年前)にも行ったらシャッターが閉まっていた事が有って、明日が祝日明けの火曜日であった事から、10Rは確認の為 ぱんちょう に電話を入れると心配していた通り明日・明後日と休みであった。

 これで 帯広豚丼元祖 ぱんちょう の豚丼を食べられない事が確定してしまったのたが、豚丼を諦めきれない10Rは食べログで豚丼のお店を探し始める。帯広には沢山の豚丼店が存在するのだが、その中から10Rは一つのお店を選び出す。

 それは帯広駅舎内に在る豚丼店で、食べログでは ぱんちょう より少し評価点が高いお店のようだった。店の場所も帯広駅の中と分かり易く、10Rは明日そこで豚丼を食べる事を決めたようである。


カメラマン?の宅さん
私は彼の着ているYAMAHAのTシャツが気になった。
 気掛かりな案件を処理した10Rは心置きなく飲み始め、我々のボルテージは上がって行ったのだが、我々の所に宅さんがやって来た。

 見ず知らずのグループの会話に入り込むのは結構勇気がいる事なのだが、宅さんはこの手の宿にお馴れのようで、何の違和感も無く私の正面に座って話し始める。

 彼の手には如何にも高そうなNikon 製一眼レフカメラが握られていて、私はそのカメラに話題を振ってみる。彼は風景写真を撮っているカメラマンらしく、今日も落石岬を歩き回って写真を撮って来てたのだと言う。

 彼の移動手段は基本的に鉄道やバスのようで、日本全国を回っている宅さんは秋田にも詳しくて岩城みなと駅下の 道の駅 岩城 の岩城温泉 港の湯 の事もよく知っていた。

 雑誌等にも写真を提供していると言う宅さんにプロのカメラマンなのかと聞くと、プロでは無いと言う。アマチュアとプロの中間セミプロ?と言う位置付けのようだが、宅さん的には○○アマチュアと言う言葉を使っていたが、○○に当て嵌まる言葉を今私は忘れてしまいました。

 オタク系の王道を行く風貌を持つ宅さんは沢山の蘊蓄をお持ちで、私がYAMAHAのTシャツを着ていた宅さんを見てバイクに乗っているのか尋ねと、自分が着ているTシャツは ヤマハ発動機 の物では無く ヤマハ株式会社(楽器メーカー) の物で、バイクには乗っていないと言う。

 そして同じように見える YAMAHAのロゴ・マークの違を私に教えてくれる。オタクの真骨頂を発揮された宅さんは、詳しくその違いを教えてくれたのだが、確かに彼の着ているTシャツのロゴマークは、ヤマハ発動機のロゴマークを見慣れた私には違和感が有りましたね。


上 ヤマハ株式会社   下 ヤマハ発動機

違いが分かりますか?

 左のロゴマークを見比べてもらえば分かるが、文字の太さが標準と太文字位違うし、音叉マークの矢印の先が周りの円から出ていないのがヤマハ、出ているのがヤマ発だそうで、Mの真ん中が下にとどいていないのがヤマハ、下まで来ているのがヤマ発だそうです。

 とにかく色んな知識をお持ちの宅さんは、話題には事欠かずオーナーさんも加わってお話は延々と続くのでした。

 我々が話していると一人の泊り客(素泊まりの20歳代の若者)が到着、オーナーさんと何やら話をしていた。身形からバイクで来たライダーのようだったが、我々が部屋に戻った時には既に寝ていたし、翌朝我々が朝食を食べている間に出発したようで、結局彼とは一言も言葉を交わす事は無かった。

 彼と話す機会があれば、彼の運命は少し変わっていた可能性が有ったのだが、その話は明日します。

 明日の事も有るので、宅さんとオーナーさんを残して我々が二階の部屋へ戻ると、部屋の電気は消され素泊まりのライダーとBMW君は既に夢の中だった。BMW君は私の隣の布団で大きな鼾を発しながら熟睡中だったが、それは相部屋では有り得る光景な訳で、私は暗闇の中バッグから耳栓を取り出し耳の中に捩じ込んで布団に入る。

 明日は雨の心配はなさそうだし、私も10Rと同じように帯広で豚丼を食べる事を楽しみに眠りに着いたのでした。



by Ryuta

5日目
TOP